諸行無常

タイトルの「諸行無常」とはお釈迦様が教えられたことで、平家物語の冒頭の文にも用いられている言葉として有名ですね。意味は「すべてのもの(こと)は続かない」ということです。

昨日、仏教を聞くというタイトルで記事を上げたばかりで、だからという訳ではないのですが、つい最近「諸行無常」という表現が合う気持ちになりました。人間何十年も生きていればこのような心境になる場面は大なり小なり、良きにつけ悪しきにつけ、何回もあるのではないでしょうか。

最近私は、自分の日常のほんの一部分が日常でなくなったことに、寂しさを感じました。
それは、25年以上の長きに渡り、地元のFMラジオ局のDJとして勤められてきた佐藤弘樹さんがご病気で逝去されたという知らせでした。
「えっー、もしかしてあの人が…?」
ドキドキしながら記事をたどると、コメント欄にあったリンク先のYoutube動画からお馴染みの低音のお声(バリトンボイスともいわれます)が聴こえ、ああ、そうなんだ…と呆然としてしまいました。
と言っても、実は私自身ここ数年、ラジオ番組をほとんど聴くこともなく、その方の番組も日々意識しておらず、時折車の中や、出先で偶然耳にする程度でした。そういう意味では決してラジオ番組のリスナーではありませんでした。また、元々お名前を存じ上げず、訃報の記事で初めて知った程なのです。もちろんお会いしたこともなければ、お話をしたこともありません。つまり長年テレビでつい最近まで活躍していた芸能人が亡くなった感覚に近いのですが、何と言いましょうか、それよりはもっと近い距離感なのです。(あくまで私の一方的な感覚ですが)

その方は平日朝の番組を担当されていましたが、かなりの京都府民が習慣的に聴いていて、完全に日常に溶け込んでいたはずです。毎朝その方の声がラジオから聴こえることが当たり前の感覚だったと思われます。訃報の知らせがあった先週、Twitter等で多くの方々が驚き、悲しみ、悼んでいました。

私のように日常にラジオ番組を聴取していない府民でも数回聴いたことがあれば、あの声を聴けばああ、あの人だと思い出せる程、特徴的な語り口でもあり、誰だか知らないけど「FM京都(αステーション)のDJのおじさんやー」というくらいの看板DJさんでもいらっしゃったと思います。

私はその声が聴くことができなくなるなんて考えたこともなかったのですが、突然やってきたその現実に動揺し、寂しい気持ちになる自分がいました。

〇〇ロスという言葉が適切かどうかわかりませんが、ウォーキングに行ったその日の夜、そんなしんみりとした京都の空気を感じました。(そういえば現時点においてまだ、関西は梅雨入りしたという情報を聞いていませんが…)

今の当たり前が当たり前でなくなる時は必ず来る。無常を忘れてはならないよと。

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