終活のすゝめ

2018-09-29

終活とは

終活カウンセラー協会のホームページによると
「人生のエンディングを考えることを通じて”自分”を見つめ、”今”をよりよく、自分らしく生きる活動」
と定義されています。

どうしても 人生のエンディング=死 を連想してしまうのは避けられず、よく縁起でもない、今から考えたくないと敬遠されてしまう気持ちはもちろん理解できます。それが良い悪いというものではなく、ある意味尊重すべき一種の純粋な気持ちであると思います。終活に関する活動を始めて、終活を広めていこうとしている自分でさえ自身に置き換えてみても、たとえば重い病気にかかって日々死を意識しながら生きている状況で終活をしなさいと言われても、おそらく拒否し、取り乱したりして、自分と向き合うことなど到底出来るような気はしません。
それどころか生きる気力を失ったり、自暴自棄になってしまうのではないかなどと想像してしまいます。

増加傾向にある終活人口

ところが最近、有名人や芸能人の訃報が報じられている記事や、テレビの番組等を目にする機会で多くの方々が自分の死期が間近に迫っている状況の中、生前整理を進めてこられてたり、ご自分の「思い」を残されているという情報に触れることが多くなってきました。もちろん有名人だから明かされていることではありますが、これは有名人だからできるとか、有名人だからしているというものではないと思うのです。
この現象は、世の中の動きが表に出る人々に反映しているように思います。
つまり私は、報道をされることのない一般の人々であっても、終活を進めている人たちが増えてきていることを表していると捉えています。

終活は愛がベース

彼らは誰かにするように強制されたわけでもなく、あくまで自主的に終活をしているように感じられます。
中には家族などに見られたくないものや、知られたくないものを「自分のために」処分する目的もあるかもしれませんが、
「残される人のために」整理をする目的が非常に大きいのではないでしょうか。
そういった「自分以外の人のために」起こすアクションのベースにあるものは愛そのもののような気がするのです。

「思い」を伝えるだけでも終活

ではいわゆる生前整理をしない(であろう)人は愛がないのかというと、そうではないと思います。日々を精一杯生きるだけでも十分に愛を持っていると思います。時折漏らす言葉の中にも、その人の「思い」が詰まっているはずです。

生前整理やエンディングノートを書くことだけが終活ではありません。
日々「思い」を伝えるだけでも終活です。
受取り手によって「終活」と認識するかしないかだけの差なんだと思います。

終活するのは前倒しくらいがいい

せっかく「思い」を伝えるのなら、出来るだけ多くの望みを叶えたいと思いませんか?
同居で日頃からお互いに気持ちを伝えあっているから、きっと分かってくれていると思っていても、いざという時家族は決断に迷ったり悩むものです。別居の家族であればなおさらです。

2018年は各地で大きな災害が発生し、多くの被害がありました。若くても、元気でも人生いつ何があるかわかりません。
私は終活を始めるのに早すぎるということはないと思います。



最後に、おまけで私の終活を。

私の終活

この活動自体が終活である

私は、今と未来に向けて起こすアクションすべてが終活であると思っています。
人生のエンディングに向けては、今年エンディングノートに書きました。
また来年も新たな気持ちで改訂版を書く予定です。
エンディングノートに書ききれない項目もまだあるので、それも何らかの形で記したいと思います。

それから、終活カウンセラー協会代表理事の武藤頼胡さんが研修の際に、「みなさんの箸の上げ下ろしを見るだけでも終活に見える」と仰っていたのが印象的でした。これはあくまで私の受け取り方ですが、今お箸で食べ物を口へ運んでいる動作、だんだん食べ物が消化器を通って、お腹を満たしていく状態というのが、今と未来に向けて起こすアクションと符合したのです。すなわち「終活」なんだと。日々の自分の活動を箸の上げ下ろしに重ねているのです。すべてが終活に繋がる、今と未来に向けて起こすアクションなのです。

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